シャングリランズ

微かだけれども、確かな未来への希望としてのクリスタルカラー・ワーカーへの思い。 1

2020年はわたしにとって、

その他のさまざまな「個人的事件」が起きた

忘れたくても忘れられない年のひとつとなり得る可能性を秘めた

現在進行形の一年と言えるだろう。


年が明けて間も無く、我がクリスタルワークの師であるA.メロディ氏がローマの地で肉体を去り、

ほどなくしてコロナ禍が世界を覆い尽くした。


いままで当たり前だったことが

当たり前でなくなった。

ひとが集うことが

イリーガルとなった。


そのインパクトは人類にとって

あまりにも巨大すぎて

たぶん、何が起こっているのか、

その本質はまだ誰もわかっていないのだろう。


一方、わたしは、2017年の冬至を境に、

もうじき20年になろうとしているスピリチュアルの世界での仕事に突然、

急ブレーキがかかり、

それまで日本全国を旅しながら仕事をしていたライフスタイルから一転、

自宅に籠って10代のころから夢見ていた海辺の家で絵を描くという実現が困難だと、

と諦めていたライフスタイルを

なんの抵抗も受けずに具体化する生き方にシフトしていた。


しかし、絵を描きながらも

スピリチュアルな世界での仕事が嫌いになったわけでもないので

数少ない共感してくれるひとたちに対して

静かに、ゆっくりとクリスタルワークや意識変容ワークを

つづけていた。

 

そんなとても静かで

波風のあまり立たない、わたしの人生においてはとてもめずらしい期間、

鉱物術のメソッドをベースにしたエリクサーの製法を開発することを思い立ち、

半年かけて具体化していった。


コロナ禍の影響で、2ヶ月に一回のペースで行なっていた東京での仕事も

見事にキャンセルつづきとなり、

第1波が収まり、第2波が広がりはじめる寸前の7月上旬から

やっと西日暮里のウィークリーマンションに帰還し、

半年ぶりの鉱物術ワーク、意識変容ワークの講座や個人セッションを開くことができた。

今回の東京での仕事で、わたしがもっとも開催できることを楽しみにしていたのが

前述した鉱物術のメソッドをベースにしたエリクサーの製法を伝授する

「鉱物術 14 鉱物術エリクサー製法術」の講座。

メロディ・クリスタルヒーリング ワークショップ レベル1 .2 でも

クリスタルエリクサーの製法は教えてきたけれど、

じぶんのオリジナル製法を創り出したかったので

やっと、その思いが今回現実化した。


鉱物術エリクサー講座は東京での仕事の最終日に開催され、

定員の4名の方々が参加してくれて、

とてもよろこんでいただけて、

わたしもこの講座を創り出して、ほんとうによかったと

しみじみ思った。


そもそも、わたしが鉱物術の講座を創り出した最大の理由は、

クリスタルを媒体にした、プロの働き手、スペシャリストを

増やしたいという思いが

クリスタル、ミネラルの世界で仕事をはじめたときからずっとあったから。

カーサーロータスを立ち上げて、クリスタルの仕事を始めて

すぐに感じたのは、

クリスタル、鉱物の世界は、

コレクターだけのものなんだな、ということだった。

わたしがカーサロータスをスタートした2004年当時、

鉱物を好きなひとたちはまだ圧倒的に

古典的な鉱物収集家が多数派で

スピリチュアルな方向性で鉱物に興味を持つ人は

圧倒的に少数派だった。

そんなマイノリティばかりの領域で

鉱物を売ったり、あるいはヒーリングメソッドに興味を持つ人たちは

まだまだ少なく、

わたしも手探りで仕事として具体化していった。

そんなときに米国のクリスタル研究家であるメロディ女史と出会い、

一気にわたしの活動はクリスタルヒーリングとメタフィジックな変容ワークの融合へと

流れ出していった。

 

わたしが初来日のメロディのワークショップに参加した2006年、

世間では、世の中は第4次? スピリチュアルブームに湧き始めて、

パワースポットや天使、過去生といった言葉がメディアを賑わせるようになり、

徐々にスピリチュアル系のクリスタル愛好家も増えていった。


わたしもメロディのクリスタルヒーリング・プラクティショナーからティーチャーへと仕事の幅を広げて、

東京、前橋以外の全国各地でワークショップを開催するようになっていった。


そんな意識のなかの時計の針が超高速で回転しはじめた時期、

ふと、クリスタルを愛でるひとたちばかりじゃ、つまらないじゃないか。

もっとクリスタルを使って働く人やクリエイティブなことをやるひとたちを増やしたい、

という思いがどんどん強くなっていった。


もともとわたしは自分の好きなことを仕事にしていくのが

子供の頃から「人生において、基本であり、あたりまえのこと」だと思っていたので、

本を読む、文章を書くことが異常に好き→ 編集者・ライター

絵を描くのが三度の飯より好き→ 広告のデザイン

音楽をないと生きていけない→ バンド活動、 クリスタルボウル演奏家 

精神世界、オカルトの世界を探求するのが快楽 → スピリチュアリスト、クリスタルワーカー

という流れをつくってきたわけだ。

当然ながらクリスタルの世界に入ったことで

クリスタルを単に、趣味で集めるだけの世界で終わらせたくなくなり、

仕事として具体化してきたわけなのだ。


そしてメロディクリスタルワークのティーチャーとしてたくさんの人たちに

クリスタルを使った仕事を広げてきたのだが、

その結果はわたしを満足させるものではなかったのだ。


そしてわたしは、自分にとって理想的なクリスタルの仕事人、スペシャリストを世に輩出させていく為に

「鉱物術」というオリジナルなクリスタルワークの領域をつくりはじめたのだった。

 

                                     つづく