2019年12月31日
A.メロディが地球での旅を終えて、いのちの全体の源へ帰還しました。
彼女の大いなる魂の旅の完成とあらたな意識の旅立ちを祝福するとともに、
みなさまに謹んでおしらせいたします。
わたしがメロディとはじめて出会ったのは、2006年の初来日ワークショップでした。
その後、すべてのメロディ・クリスタルヒーリングワークショップと
2種類のティーチャー・ワークショップへの参加を通じて
メロディとの繋がりを重ねて来ました。
2006年当時のわたしは、カーサロータスをスタートさせて2年目で、
20代から携わって来た広告業界、出版業界でのコピーライター、
編集ライターとしての仕事と
スピリチュアルワークを半々くらいの配分ですすめていた時代でした。
当然、原稿書きやデザインのクリエィティブディレクションの仕事と
スピリチュアル系の仕事という、対極的な仕事の流れに悩んでいた頃で、
クリスタルについてもいろいろな勉強をしはじめていて、
もっと深く学ぶ必要があるな・・・と感じていました。
そんな状態の時に、ちょうどタイミングよく
当時の知り合いからメロディの来日ワークショップに行ってみたら、といわれて、
彼女の存在についてほとんど知らずに
半蔵門で行われたLEVEL1と2のワークショップに参加しました。
4日間のワークショップでの体験は
それまでのわたしのクリスタルに対する認識を大きく書き換え、
目の前に広大で深遠なる意識の大海が広がっていることに
気付かさせてくれる内容でした。
またこのワークショップを主催したアースラブワークスの塩原さんとも
このときにご縁をいただき、
以来、ティーチャーの仲間として、そしてカーサロータスの
もっとも重要なビジネスパートナーとして交流がつづいています。
週を跨いで、4日間に渡ったすべてのカリキュラムが終わり、
ワークショップを締めにメロディとの記念撮影か、
配布された著書へのサインのどちらかが選べることになり、
わたしはメロディとの記念撮影の列に並びました。
順番を待っていると突然通訳をしていた女性が近づいてきて、
「メロディがあなたと話したいと言っている」と伝えてきました。
わたしは記念撮影をしてほしかったのですが、
あらためてサインの列に並び直しました。
そして、ワークショップのテキストの扉ページにサインをしてもらいながら
片言の英語で会話したときに、なぜか、
あ・・長い付き合いになるだろうな・・・と感じたのです。
会話はわたしが一方的に色々話していたので、
メロディからはあまり話しを聞けなかったのですが、
著書のサインの最後の文末には
「次もいっしょにワークをしましょう」と書かれていました。
その後、わたしは本格的にメロディ・クリスタルワークをスタートさせ、
一年後にはコピーライターを辞めなくてはならなくなりました。
スピリチュアルワークのスケジュールが過密になり、
広告制作や雑誌記事の取材に取れる時間がまったくなくなってしまったわけです。
それから約14年経ちました。
いろいろなことが起こり、
たくさんの出会いと別れがあり、
クリスタルや精神世界の仕事を通して見える世の中の風景も
まったく様変わりしてしまいました。
メロディの訃報を受け取ったのは2月6日の朝、広島の福山市においてでした。
米国ツーソンに滞在していた塩原さんから妻ひとみへの電話で知らされました。
訃報を聞いたわたしはとても深く落ち込みましたが驚くことはありませんでした。
じつは年始からたびたびメロディのビジョンが現れ、睡眠時には夢にも現れて
重要なメッセージを送っていたからです。
その最後のビジョンは1月中旬あたりだったのですが、
そこでわたしは断定はしなかったものの、彼女が肉体から離れたことを直感しました。
その日以来、メロディとの思い出を回想していますが、
わたしの記憶のなかのメロディはとてもチャーミングで繊細な女性というもので
ワークショップや、ティーチャーの資格を取るためのワークショップにおける
厳しいクリスタルマスターという印象はとても表面的なものなのです。
なので、まず蘇ってくるのは毎回、パーティーの席でするハグのときの
とてもセンシティブなオーラフィールドのエネルギーと
花のような香りです。
一方、クリスタルワークのマスターとしての思い出として忘れられないのは
やはり2011年に開催されたグランドフォーメーションストーン・ワークショップです。
2011年といえば、日本人にとって忘れることのできない
東日本大震災が発生した年ですが、
その年の年末にメロディは、グランドフォーメーションを使ったいくつものワークを
日本のメロディ・クリスタルワーカーのために、
一年前からワークの準備をしていたのです。
とくに「ジャパン・ワンマインドアレイ」は
日本人と日本の国土のエネルギーの一体感を高めるワークで
震災と原発爆発事故でどん底にあった日本国土と
日本人のために用意されていたようなワークとも言えるものでした。
このワークのおかげでわたしがどれだけ救われたか、
そして誤解を怖れずにいうならば、
あのワークをたくさんのメロディのグランドフォーメーションワークを学んだ人たちが
全国各地で実践したことで、
日本人の傷ついた潜在意識の再生と国土の復興は
とても速やかにすすんだのだろうとも感じています。
そのころの記憶だけでも、いま思い返すとメロディとの出会いからはじまった
わたしの人生のドラマはつねに鉱物界の愛と叡智のエネルギー、
そしてメロディの深い愛によって守護されてきたのだと思います。
その後もメロディの来日ワークショップにはかならず参加し、
ワークショップが終わると中目黒のいつものレストランで
メロディとティーチャー仲間たちとともに
彼女が愛したレミーマルタンを何杯も飲んだことが
いまとなっては遠い昔の懐かしい良き思い出です。
現在ではわたしの仕事の流れも大きく変わり、
日本各地を忙しく移動することも少なくなり、
クリスタルワークをひとに施したり、教えることについても
ほんとうに必要とするひとたちだけに行うようになってきています。
残りの人生時間も1日1日をじゅうぶん意識して生きることが
大切だと思うほどのものとなってきました。
もはや出会うひとやものの機会よりも、
失ったり別れるひととものの機会のほうが多くなる季節にいます。
両親もすでに他界し、とても影響を受け愛した芸術家、作家、音楽家も
大半はすでに鬼籍に入りました。
メロディは、わたしにとってほんとうに数少ない、
スピリチュアルワーカーとしての人生の生き方、
真のライフパーパスを教えてくれたひとでした。
メロディとの出会いがなかったら、
地球からの途方もなく大きな愛のパワーについても、
鉱物界からの深遠なる叡智についても、
なにも気付かずに人生を使い果たしてしまったことでしょう。
運命的出会いについて思いを深く謙虚に巡らせることは、
「人生とは、一度きりのものだけれども、
魂の繋がりはずっと繰り返されて結び直されていくことに気づきことだ」
とも言えます。
メロディの肉体に宿っていた魂と、
もし、また別の時間軸、別のリアリティで出会えるならば
その出会いではどんなドラマを楽しめるのだろうか、、、
というファンタジーは、
敬愛する人との繋がりを失って
呆然とその空虚感を感じつづけるしかない人間にとって、
とてもやさしくあたたかい理解の光を届けてくれます。
メロディは、たくさんのひとたちに鉱物界の叡智を通して、
私たちの意識の内に存在するインナーセルフ、
ハイアーセルフへの信頼を高めることが
地球と、人類の、愛を通した豊かさと幸福の表現、
そして個人の人生における創造性と可能性の実現につながることを
ずっと伝えてきました。
これからもわたしはそのことを生命の光がつづく限り、
伝え、表現していきたいと思っています。
メロディへと限りない愛と感謝を込めて
Love and Hugs and Crystal Rainbows to you!!!
たんたん 高橋寿介