どんな分野、領域にもその世界を楽しんだり、深く分け入るには、作法があり、所作が必要だと思い感じることが最近多い。多分、年をとったからでしょう。
ワインを嗜むにも、あるいはジャズやロック、映画を楽しむにも、その領域における最低限の知識や作法を心得ていないと、その素晴らしさや楽しさを心底楽しむことはできないでしょう。
ワインだったら、最低限、産地と味のつながり、格付けの意味は知っておいた方が味を楽しむことが理解しやすくなるし、ジャズであれば、ビッグバンドとバップ、ハードバップ、あるいはモダンジャズとスウィングジャズの関係性などを理解してジャズの世界の全体像を理解しておくと、好きなジャズのカテゴリーがどの位置にあるのかがわかり、より面白さが理解できるというもの。
絵画においてはさらにその世界は広大で、全体の地図をどれだけ広げて認識し、自分がどの領域に惹かれるのかがわかると、一気にその世界観が深ってい苦でしょう。
なぜ、そんな話をしているのか、というと、もうじきわたしの個展が始まるからで、初日に画家の堀内亜紀さんとのトークとサウンドインスタレーションのオープニング・イベントがあり、そのトークで「スピリチュアルとアート」というテーマで少し話してみたいと思っているからです。
この文章を読んでくださっているひとたちの多くはスピリチュアルの世界が好き、あるいはかなり探求している人たちだと思います。そのスピリチュアルの人たちにアートをより楽しんでもらうにはどうしたらいいか、ということをずっと考えていて、それでトークショーのテーマに「スピリチュアルとアート」を設定したわけです。
冒頭に書いたように、どんな分野、領域にもその世界を楽しんだり、深く分け入るには、作法があり、所作が必要です。スピリチュアルの世界はまだ歴史が浅いので、そういった所作とか作法のようなものは、せいぜい密教や欧州の神秘主義の文献を読むことくらいではないかと思うのですが、美術の世界は、ホモ・サピエンスが誕生したと同時に始まっていて、無数の消えてしまった文明の数だけあるので膨大です。
ただわたしたちが日頃接することのできる美術は古代エジプト、古代ギリシャ、古代ローマを起点に地中海から欧州から、中東から東洋文明くらいまでなので、その各領域を深掘りしていけばかなりの世界観、宇宙観に到達するはずです。
ただ、多くのひとたちはそんなことをする情熱も時間もないので、とりあえず、目の前で開催されている美術展に足繁く通うことで徐々に輪郭が見えてくるということになるのだと思います。
そんなことを日々、考えているなか、最近、わたしが行った美術展で「スピリチュアルとアート」というテーマをよりわかりやすくするヒントを受け取ったので、まずそこから書いてみたいと思います。
9月21日から26日まで2ヶ月に一回のペースで行き来している東京での仕事と所用が終わり、一昨日、糸島の自宅に戻りました。
今回は鉱物術教室 11 レムリアンレコード・プラグインと鉱物術教室17 地図と地形グリッドで土地因縁解除を行いました。
都内へ向かう前日にも鉱物術教室17を糸島で行い、前回の東京では鉱物術教室 11を行ったので、ここ数ヶ月、11と17を繰り返し開講していることになります。
クリスタルを通して知る、古代の叡智、そしてそれぞれの土地につながる因縁の記憶。どちらも時間という大きな情報の大河につながるワークであること。そして、どちらも転生から受け取る叡智という点でとてもいまの時代に大切な叡智を得るワークと言えると思います。
そんな中、なんとか時間をやりくりして、ひとつだけ展覧会へ行けました。
観たのは東京国立博物館で開催されている横尾忠則『寒山百得展』。
この展覧会は、現代美術家・横尾忠則が、寒山拾得を独自の解釈で再構築した「寒山拾得」シリーズの完全新作102点を一挙初公開するもの。
日本でも古来から親しまれてきた寒山と拾得という、中国、唐の時代に生きた伝説的な2人の詩僧をテーマとしたもので彼らはその奇行ぶりから「風狂」ととらえられ、日本、中国では伝統的画題であり、文学、芸能の分野でも数多くの作品として表されていますね。
結局、なんだかんだ言っても横尾さんの新作展は開催されるたびにほとんど観ているので、今回も別の展覧会と迷ったのだけれども横尾さんに足が自然と向かったのでした。
観終わった後、さまざまな思考が駆け巡り、さまざまなインスピレーションが湧いたのですが、最終的には横尾忠則という作家の意識の多次元性の広大さに圧倒されたのでした。
そして何より、もっとも大きな収穫は、芸術に対する意識の位相についての気づきだったのです。
「意識の位相」は、私のスピリチュアルワークのもっとも重要にテーマですが、芸術という世界こそが、そのエネルギーがもっとも強く大きく作用する分野、フィールドだということにあらためて気付かされたのでした。
なぜならば、今回の「寒山拾得」シリーズは、芸術家の強烈なエゴと「個の意識の領域外から受け取るパルス」が最終的にどのように昇華され、作品に表されるのか、ということをもっとも強く感じ作品群だったからです。
エアコンのない、東博の表慶館の全てのフロアに展示された102点は、ほぼ全てが100号以上というちょうど良い大きさのサイズに描かれていて、どの作品もあまり描き込んでいない、とてもラフな状態の画風となっています。
その軽いタッチで描かれている「寒山拾得」は、まさに寒山と拾得のスピリチュアルな「風狂さ」が見事に表現されていました。
「風狂」とは、常軌を逸していること。また、その人。 風雅に徹すること。
中国の仏教、特に禅宗において重要視される、仏教本来の常軌(戒律など)を逸した行動を、本来は破戒として否定的にとり得るものを、その悟りの境涯を現したものとして肯定的に評価した用語である。
禅宗とともに日本にも伝わり、一休宗純がその代表者である。と説明されていますが、芸術においては、まさに最終的な境地こそが風狂であることは誰も異論はないでしょう。
日本的に言えば、侘び寂びの境地に至る、ということ。
そして、スピリチュアリティの観点で見れば、それこそが、解脱と覚醒であり、クラウンチャクラ以上の意識の位相であります。
今回、私が気づいたのは、あらゆる芸術作品は、さまざまな低次から高次まで、多次元的な意識のあらゆる位相を通して、自己のリアリティを具現化したもの、あるいは抽象化したもの、であるということでした。
ここで注意しておかないといけないのは、低次の位相は高次の位相よりも劣るものなのか、ということ。
まったくそんなことはなく、表現におけるリアリティとは、低次から高次すべての位相を観察すること、なのです。
つまり、もっとスピリチュアル的なワードでざっくり具体的にいうと、第一チャクラ(ムーラダーラ・チャクラ)、第二チャクラ(スワディシュターナ・チャクラ)の位相と第六チャクラ(アージュニャー・チャクラ)、第七チャクラ(サハスラーラ・チャクラ)の位相は等価であり、そのチャンネルを通して体験するリアリティの質とエネルギーが「違う」というだけの差異なのです。
この捉え方ならスピリチュアルなひとたちも美術、アートを深く探求できるでしょう。
つまり、その低次と高次のリアリティが等価であり、そのチャンネルを通して体験するリアリティの質とエネルギーが「違う」ということを芸術作品を通して見ると、例えば、、、、、フランシス・ベーコンやエドヴァルド・ムンクはまさに第二チャクラの感情のエネルギーの抑圧と爆発を具現化、あるいは抽象化した図像であり、今回の横尾の「寒山拾得」、あるいは去年観た新国立美術館で観た李 禹煥(リ・ウファン)の作品は、第七チャクラの高次の位相を通して、表現したリアリティということです。
あるいは草間彌生の宇宙は、第三チャクラ(マニプーラ・チャクラ)における強迫観念の終わりのない幻想を観ていることになるのに対して、塩田千春の宇宙は、第二チャクラ(スワディシュターナ・チャクラ)の血と想念の強固なコードのつながりを第六チャクラ(アージュニャー・チャクラ)で俯瞰し、メッセージとして提示された、と捉えるととてもスッキリと落とし込まれると思います。
また例えば、同じ風景画でもミレーの描く田園と、モネの描く田園風景は、まったくその印象が異なります。
両者は同じフランス人で1800年代の人物ですが、ミレーが観る世界は地に足のついた農民の世界観、つまり第一チャクラを通したリアリティで、モネの観ている世界は愛と楽しさに満ちた芸術的な感性による世界観、つまり第四チャクラを通したリアリティではないかとわたしは感じます。
つまり、あらゆる芸術はアーティスト、作家の意識の位相がどのチャクラに基軸を置いているのか、ということで、観るものの意識を強く共振させるわけです。
もっと言えば、観る側が、もっとも大きく振動させたいチャクラがどのチャクラなのか、あるいは満たされたい、解放されたい、浄化されたいチャクラがどこにあるのかで、共振する作品、強く惹かれる作品がはっきりと理解し、より深くその作品世界とつながり、そのバイブレーションを楽しむことができるわけです。
なんとなく「スピリチュアルとアート」の全体像がお分かりになったでしょうか。
さて、わたしは現在、10月15日から24日まで京都・スターポエッツ・ギャラリーで開催される個展の準備に追われています。当然、毎日作品を制作しています。
そのなかで、常に「なぜ描くのか」「何を描くのか」という原初的な問いかけを意識のなかで反復しつづけているわけです。
使う色、描くかたち、そして表現のテーマに対して、その問いかけは、意識の運動として当たり前の衝動であり、思考でしょう。
その中でつねに立ち現れる「こたえ」は、「個の意識の向こう側からのパルス」を受け取って、現実世界に表すため、というものです。ここで重要なキーワードは、「個の意識の向こう側からのパルス」です。
あらゆる表現者は、意識しているか、いないかに関わらず、この大テーマによって、作品を思考と感情を四肢を通して、この世に産み落としてるとも言えます。
数行前に書いたあらゆる芸術作品は、チャクラ=意識の位相を通して、自己のリアリティを具現化したもの、あるいは抽象化したものであるということと同義となりますが、つまり、作品の個性、独自性は「個の意識の向こう側からのパルス」を作家が自己のどのチャンネル、どのチャクラを通じて、表現するのか、ということによって、決定するわけですが、その創造の源泉のエネルギーは全て「個の意識の向こう側からのパルス」から生じているのです。
では、わたしの作品は、「個の意識の向こう側からのパルス」をどのチャンネル、どのチャクラを通じて、表現しているのでしょうか。それは作家の個人性によってチャクラ=意識の位相、チャンネルが変わるの同時に、観る側の意識の位相によって多様な判断と受け取り方があるのだとも言えます。
ぜひ、わたしの作品群を会場で観て、感じて、「個の意識の向こう側からのパルス」をどのチャンネル、どのチャクラを通じて、表現されているのかを確かめ、そして、自分のどのチャクラが共振しているのか、どのチャクラが解放され、満たされているのか、などのスピリチュアル的な反応を観察してみてください。
それこそが美術、芸術の愉楽であり、同時に人生の生き方の極意でもあると思うのです。
■アメジストタブレット・プロローグ 髙橋寿介 a.k.a. TANTAN 個展
2023/10/15(日) – 10/24(火) 12:00 – 18:30
@Star Poets Gallery
10/16、20、23日を除き作家在廊。在廊時間 14:00~17:00
※イベント時間以外は入場無料・予約不要
個展詳細や期間中のイベントのお申込み・お問い合わせは スターポエッツギャラリー京都へ
■10月たんたん糸島スケジュール
10/7(土)クリスタルボウル瞑想会 残1枠
10/29(日)鉱物術教室1 クリスタルと繋がり、対話する
■11月たんたん東京スケジュール
11/11(土)鉱物術16 リーディング・トゥ・ドルフィン・インテリジェンス
11/12(日)たんたん個人セッション150分(2枠)